ポニテと洗濯

航海日誌

北京留学二日目

8月25日 22時31分

 

 二日目。耳がチョト遠い中国人と、耳が別世界に旅立ってしまった中国人が早朝からガタゴト活動しているのをうっすら聞きつつ、昼まで就寝させてもらった。途中で蚊がプーンと耳元を散歩していった音が聞こえたが、蚊取り線香もなければ見えもしない。諦め。

 昨晩の餃子を焼き直したものと、力士の食べ残しを消費していく。もはや食事しに来たようなものだ。食べることで疲労困憊になってしまい、寝た。食っちゃ寝の化身である。帰国するころには力士になっているかもしれない。

 昼過ぎ、早口の中国人が来た。早口の中国人が、気の狂った中国人の動画を見せてくれた。私は気の狂った中国人が、気が狂う前は大好きだった。夕方、早口の中国人と一緒に、日本語チョドダケデキル中国人の職場の食堂に出かけた。バイキング形式で一人20元、日本円でおよそ300円弱。中国物価で1200円。うーん、食費が安い。「バナナ食べな」早口の中国人が早口で言った。「あとでね」私が一番得意な中国語である。

 帰宅途中、スーパーに寄った。平べったい桃を一つと、牛乳を二つ買った。「ほかにも見な、ほしいものあったら買うからね。ほらあっちも見よう」早口の中国人が早口で言った。「いらない。行こ」私が2番目に得意な中国語である。

 癇癪持ちの中国人から電話が来た。早口の中国人が、私が今日しゃべった中国語を逐一報告していた。まるで言葉を話し始めたインコの飼い主である。私は中国語チョトダケシャベルが、割と聞き取れる。インコとは違う点はそこだ。髪をまとめなおしていると、早口の中国人が「櫛持ってこなかったの」と聞いた。肯定すると、耳のチョト遠い中国人が櫛をくれた。なんでかペトペトしている。いまだに通話し続けていた癇癪持ちの中国人にそう報告すると、癇癪持ちの中国人は早口の中国人に大声でそれを伝えた。耳のチョト遠い中国人は耳がチョト遠いので、目の前で早口の中国人と大声の中国人が堂々とそんな話をしていても、聞こえない。

 大声の中国人と早口の中国人が電話を終えて、早口の中国人が帰った。シャワーを浴びて、濡れた髪を扇風機で乾かしていると、耳のチョト遠い中国人が猛スピードで近づいてきた。「頭痛くなるよ、ドライヤー使いなさい」私は耳元で大声を出した。「ドライヤー暑いから大丈夫」耳のチョト遠い中国人は不満げに去っていった。テレビでは映画祭をやっていた。「祖国」という単語を見ながら、出国前に友人と話したことを思い出していた。国のことを英語で彼女と言う件について、母国、祖国という言い方を例に挙げたとき、祖国というのは国外では言わないんじゃないかみたいな話をした。中国では、言う。同じ友人と、アジア圏の祖霊の概念がみたいな話もしたけど、そういうことなんだろうか。

 バスで見た胡同の話もしたいが、耳のチョト遠い中国人が早く寝ろという視線を向けてくるので、今日はここでおしまい。

北京留学一日目

8月24日 北京時間21時18分

 

 Wordソフトを開いた。スタート画面の「こんばんは」というのが、9時間前に聞いた、JALのフライトアテンダントの挨拶以来、はじめての日本産日本語になった。

 ベッドに胡坐をかいて、膝にパソコンを載せている。腰痛になるかもしれないが、机も椅子も積年の衣類と大量の食事に不法占拠されている。ここは祖母の家だ。

 本当なら、北京大学に留学に来ていて、どこでどういうことをする予定で云々と自己紹介をすべきなのかもしれない。でもこれは、私が私のためにつけている記録なので、これまでの自己認識を信頼して自分への自己紹介は省略とする。

 

 それでは、今日あったことを。

 5時に起きた。当然、日本時間の。5時30分には父親の運転する化石みたいなエクストレイルに乗って、歩いたほうがマシみたいな速度でC2を走行、7時30分に羽田国際ターミナルに到着。後部座席では中国人がひたすら文句を言っていたけど、たしかにもう次回からはまた電車で来ようなと思った。

 余裕の到着のはずだった。いや、余裕ではないにしても、充分ゆとりはあるはずだった。なぜなら私の握りしめたチケットは9時5分のフライトで、残念ながら2時間前にチェックインとはいかなかったが、問題はないはずだった。

 嫌な思い出なので、事実だけを羅列する。ANAのカウンターをさまよい、中国南方航空のカウンターで中国人を待たせ、カウンターでは受付を拒否され、JALのグラウンドスタッフに泣きつき、中国人と泣きながら喧嘩しつつ超特急でチェックインを済ませ、VIP用の優先レーンで保安検査を抜けた。中国人と日本人とはろくに会話をする余裕もなく、保安検査が終わって、ゴマ粒みたいな距離にいる二人と手を振りあった。阿呆だと思った。145ゲートまでの3千里を歩いていく途中、人生で初めて、泣きながら本を買った。阿呆だと思った。

 ゲート前の待合椅子に座り込んで、スマホを確認すると、みんなからメッセージが来ていた。さっき別れた中国人からもメッセージが来ていた。業務連絡だった。みんなに、いってきますと挨拶をした。泣いた。阿呆だと思った。

 チケットは南方航空だったけど、JALの機体だったので機内食では高級アイスをいただいて、とうとう見そびれていた今年の名探偵映画を見た。メインパーソンの怪盗の活躍を見ながら、リア友でフォロワーの怪盗ガチ勢が死んでいたのを思い出した。

 そうして、9時間前のフライトアテンダントの挨拶を聞いた。これが最後の日本人の日本語かぁと思った。ちょっと必要があったので、空港の出口までの経路を丹念に写真に収めながら、ゆっくり歩いた。いつもは中国人と一緒だった道。

 スーツケースを拾って、日本語の単語をチョトダケシャベル中国人と合流した。私は中国語チョトシャベル日本人なので、お互いに互いの言語をチョトシャベりながら、祖母宅へ向かった。耳がチョト遠い中国人と、耳が別世界に旅立ってしまった中国人と、早口すぎて何を言っているのか分からない中国人と再会した。午後3時。北京時間。耳のチョト遠い中国人がはりきって用意してくれた、力士でも食べきれないぐらいの食事を、みんなでいただいた。いや、残念ながら今のは嘘だ。食べていたのはほぼ私で、私は残念ながら力士ではない。最終的には私が鶏を食べているのか鶏が私を食べているのか分からなくなった。西瓜が阿呆ほど美味しかった。あと桃も。

 あまりに眠かったので、1時間ばかり寝て、それから携帯のSIMカードを換えに行った。まあ、結論からいうとここで失敗してしまったために私は今Wordと向き合っているということになる。電話越しに癇癪持ちの中国人と喧嘩しつつ、日本語チョトダケシャベル中国人に付き合ってもらって北京をさまよった。現代人、異国でインターネットを奪われ死に臨むこと。

 胃を鶏に襲われる悲惨な事件から5時間足らずで、さらなる悲劇が私を襲った。早口すぎる中国人が、餃子を買ってきたのである。「どのくらい買ったの」余った鶏を熱した油で溺死させていた、耳がチョト遠い中国人の質問に、中国人が光速発音で答えた。「1斤!」 500グラムのことである。なんの量って、粉の量である。つまり、その、500グラムの小麦粉から産み落とされる餃子の量を想像してみてほしい。西瓜はやっぱり阿呆ほど美味しかったが、途中で早口な中国人がしたオモシロ発言が、運悪く私のチョトワカル中国語だったために、盛大にむせてさらなる地獄をみた。喉と鼻の接続部に美味しい西瓜がしこたま流入する経験についてどう思うか? ここは中国風にこたえよう、草。

 爆発する2秒前みたいな音をたてる給湯器が供給する熱湯で、ゆであがったカニみたいな色になりながら命からがら風呂場を出て、そうして今日が終わる。これが私の航海日誌の、記念すべき第一後悔日である。