ポニテと洗濯

航海日誌

北京留学三日目

8月26日 21時20分

 三日目。力士の食べ残しを片付けつつ、荷物をまとめる。日本語チョトダケシャベル中国人が迎えに来て、一緒に大学に行った。宿舎の受付、登録拒否、登録。

 部屋は我らが平砂宿舎の愛すべき独房よりはるかに広く、文明の利器エアコン様がおわしました。巨大窓にはカーテン。据え置きの電話、それと電気ケトル。中国ではたぶん部屋を建造したらまず最初に電気ケトルを置く決まりでもあるんだろう。どこにいっても、ある。共用の水回りも含めて、一年間仮住まいするには最高の施設だった。電気がつかないことを除けば。

 どうにも私の部屋だけ電気が通じていないらしかった。さんざんいろいろな人に助けを求め、二時間ばかりかかって電気を通してもらった。日本語チョドダケデキル中国人におんぶにだっこである。情けなかった。死ぬほど堅いマットレスの上で、無意味に高い天井をぼんやり眺めながら、虚無感に襲われていた。何しに来たんだ?

 耳のチョト遠い中国人の家までの乗り換えバス停付近で、遅い昼食をとった。18元で、腹のはち切れそうな量の豚丼を食べた。帰って、再び携帯をどうにかしようと出かけた。ひとつめのお店のにーちゃんが言った。「君の携帯は古すぎてどうしようもないよ。新しい携帯を買うしかない」。私のXperiaが泣いた。私も泣いた。二件目の携帯ショップで出会った日本人に相談すると、白目の印象的なおにいさんは黒目をころころ動かしながら結論を出した。「どうしようもないね。頑張って」。どうしようもないことが分かった。携帯電話ショップのWi-Fiインターン先に詫びメールを送り、先生に生存報告メールを送り、そのあと友人に一通だけメッセージを送った。「野垂れ死にそう」。これには友人も困惑だろう。それこそどうしようもない。

 耳のチョト遠い中国人の家で、夕飯を食べた。初めて力士メニューに追加メニューが登場した。焼餅とキュウリのなんかアレだ。適当に食べて、また日本語チョトダケデキル中国人と、今度はスーツケースを持ってヘイタクして宿舎に向かった。カードキーがご臨終していた。事務室に持ち込んで直してもらって、荷物を置いて出た。カードキーが作動するかびくびくしながら出た。入る時にカードキーがいるのはともかく、部屋でもフロアでもない正面玄関を出るときにカードキーが要るのはいったいどういうことだろうか。最悪の場合、部屋にカードキーを忘れて、フロアからは出られても建物から出られなくなる。鍵もない状態で、玄関とエレベーターホールだけしか行き場がなくなるわけだ。

 帰りもヘイタクした。心細いわけでも、家に帰りたいわけでもない。ただ自分が情けないというだけで、心のなかで泣いた。バスだと3元90分、ヘイタクだと36元30分の距離。

 最悪の場合、インターンはクビだ。とにかくどこかでWi-Fiを拾って、だれかに助けを求めなければ。明日は早口の中国人が付き添ってくれる。なんだかもう疲れてしまった。かといって、日本に帰りたいというわけでもない。不思議な心地だ。考えがまとまらなくなってきた。また明日。