ポニテと洗濯

航海日誌

北京留学四日目

8月27日 9時5分

 

 四日目。早口の中国人が小包子を大量に買ってきた。私はこれが大好きだが、いくらなんでも多すぎる。胃の中には昨日の夕飯すら消化されずに残っている。耳のチョト遠い中国人と、耳のとてつもなく遠い中国人が期待に満ちた表情で私を見てくるので、笑顔で口の中に大量に食品を投入して叫んだ。「おいしい!これ好き!」老人たちが満足して自分の皿に目を落とした瞬間、虚無顔になる。老人たちが顔をあげた瞬間、笑顔で咀嚼を開始する。

 早口の中国人と予定をすり合わせて、まず近くの百貨店に向かった。9時開店なのに8時半に到着し、しかたないので小売店を冷やかした。量り売りの個別包装菓子を売っている店で、ひとつだけお菓子を買おうとした。味を知りたかったのである。「これだけでいい」私が言うと、早口の中国人と販売員が目を見合わせた。「軽すぎて計れないから他のも買いな」早口の中国人が言ったが、私は首を横に振った。販売員が言った。「もういいよ、それあげる」大変申し訳ないことをした。ありがたく頂戴した。美味しかった。また来てちゃんと買おうと思う。

地下に降りて、お茶のお店に入った。「高くなくて、品質もそこそこいいやつ」早口の中国人が言うと、販売員は積みあがったダンボールをかきわけて、奥から茶葉の入ったダンボールを取り出した。「老北京の茉莉花茶。香り確かめてちょうだい」。販売員の掬った茶葉に鼻を近づけた。いい香りだ。早口の中国人が大声の中国人と電話をはじめたので、所在なく立っていた私に販売員が椅子をすすめてくれた。「お母さん?」販売員が聞いた。「母の姉」「そう。あなたはどこの大学なの?」「北京大学の交換留学生」「実家は?」「日本」電話を終えた中国人と茶葉を買って、やっと開いた百貨店に突入した。早口の中国人の早口の値切りを横で眺めた。「六個も買うんだから安くしてよ!」ねばりつづける早口の中国人に、とうとう販売員が折れた。「ハオ。50にしてあげる」。いろいろと物を買って、エスカレーターの前の椅子で休んだ。早口の中国人は、買い物と値切りの大好きな大声の中国人の様子を面白おかしく話した。「日本でもそう。商店に入ると数時間……」中国語を探して黙った私の言葉を、早口の中国人がひきとった。「出てきちゃこない」。二人で爆笑した。

 大学に行った。共用の調理場を確認してから、スーパーを探しに出た。途中偶然日本語のよくできる女性に出会って、手助けしてもらった。携帯はやっぱり使い物にならなかった。スーパーは大学から徒歩15分。33℃の灼熱の太陽。「クソ遠い」。早口に対して同意した。スーパーの地下の美食街で羊肉泡面を食べた。死ぬほど量が多かった。日本人のド根性で平らげると、早口の中国人が「よう食うわ」というような顔で見ていた。中国人は自分の頼んだ辛いなにかを残した。美食街は大量の人間でごったがえしていた。「どいたどいたどいた!」働くお兄さんが大量の皿を持って走って行った。スーパーをうろうろして買い物をすませた。クソデカカートにちょっとだけの日用品。早口の中国人が言った。「車大きすぎ。乗り換え!」小さいカートが放置されていたので、商品をそちらにうつして買い物を終わらせた。私たちは顔を見合わせた。「バスで帰ろう」「そうしよう」。スーパーから少し歩いて、バス亭の前でアイスを買い、バスを待った。601号が、家の付近から大学に向かうバスなので、それを待った。同じバス停にとまる大量のバスを見送り続けて、ふと気づいた。「ここに停まるバス、全部目的地(次のバス停)停まるんじゃないの」早口の中国人が言って、私は停留所案内を見た。「ほんとだ」目の前で、特19号のバスが発車した。見送った。中国人と顔を見合わせて爆笑した。つまりこういうことだ。平砂学生宿舎前から追越学生宿舎前に行くのに、土浦行きのバスが何本も来たのに乗らずに見送っていたというわけ。「あんなにたくさんバス来たのに!この一本道、次のバス停に停まらないわけないじゃない、『結構です、601号バスにしか乗りたくありません』って?」言っている途中で601が来た。「601『来たよ~!』」。爆笑しながら乗った。次の駅は停車せずにスルーされた。目的地のバス停が小さくなっていくのを茫然と見送った。「なんで止まらないの?!」早口の中国人に、バスの添乗員が答えた「降りるならはやめに交通ICでピってやらなきゃダメだよ、降りる人がいるかどうかはそれで判断してるんだから」停車ボタンなど存在していない。クソデカ道路の反対側にわたるクソデカ歩道橋を登りながら、爆笑した。何してんだ。

 這う這うの体で宿舎に戻って、荷物を置いて帰った。座って休んでいると、暗がりから声をかけられた。「かえってきたの」耳のとてつもなく遠い中国人だ。本人は耳がとてつもなく遠いが、忍者のように静かに活動するのである。おまけに、老人たちが電気をつけない家のなかで、壁のような色の服を着ている。保護色だ。完全に光学迷彩である。暗がりから声をかけられた瞬間飛びあがった。笑顔で振り向いて、叫んだ。「そう!!!」「いいね」耳のとてつもなく遠い中国人は部屋に戻っていった。

 私の大好きな茎レタスの炒め物と、トマトと卵の炒め物を、早口の中国人が作ってくれた。めちゃくちゃ美味しかったが、なにぶん胃にはまだ昼食が、なんならまだ朝食すら残っている。「めっちゃ美味しいけどおなかすいてない」言いながら、それでもめちゃくちゃ美味しいのでそれなりに食べた。死にそう。

 食後、早口の中国人が大声の中国人と電話した。私が今日シャベッタ中国語についてまた報告している。インコは途中で何度か大声の中国人に中国語の質問をした。

 夜、早口の中国人と飲料水を買いに行った。ああ、そうだ。ケトルがどこにでもあるのは、水道水が飲めないからだ。こんな簡単なことに思い至らなかったのは、水ボケした日本人だからだろう。それでは、また明日。