ポニテと洗濯

航海日誌

北京留学六日目

8月29日 9時42分

 

 ほんとはこんなに長くここにいる予定じゃなかったのだ。何もかも携帯電話(のことをよく考えずに飛んだ私)が悪い。きわめて退屈な一日をどうしのいだかをまた書かなければならない。

 朝。7時半に起きた。この国じゃ7時半はもう昼みたいなもんである。耳のとても遠い中国人はとっくに朝食を食べ終えていた。油条と豆ジャンと茶蛋を食べて、それからパソコンを開いた。テキストデータというテキストデータを読み漁った。それこそ昔提出したレポートまで。なかなか面白かったのだが、その事実に絶望した。今の私、退化してない?へたくそな中国語と、退化した日本語。ついでにチョトダケデキル英語。はっきり言って虚無である。耳のチョト遠い中国人が買い物に行くというので、ついていった。耳のチョト遠い中国人は、すさまじく脚が悪い。調子が良ければ杖、悪ければ車いすなのだが、今日はテコテコ杖をついて歩くこととなった。ヨーヨージョーのバスで、2駅。テンフォンリーという百貨店だ。「これ買おうか」「いらない」「これ食べる?」「いらない」「何にも要らないじゃない!」「今おなかいっぱいだし」「後で食べるのよ」あとになったっておなかすかないし。中国語が届かなくてそれは言えなかった。テコテコ杖をつく老人について、ノシノシ売り場を回った。結局ウースェンとチエズ、それからシャンジャオを買って、ショウマントとウーニアルユエビン、それから最終的に中国人の圧しに負けて、ショウシャンチアルを買って帰った。バス亭でヨーヨージョウを待ちながら、中国人がレシートの小さな字を眺めている。「ねえちょっとそこの人、残額見てくれない?」バスを待っている見知らぬ中国人に話しかけはじめたので、私は話しかけられた中国人が振り向く前にレシートを横どりした。「あんた読めないでしょ」耳の遠い中国人よ、バカにするでない。日本人は実はみんなもともと中国語チョトヨメルのだ。なぜなら漢字だから!「387元」私が教えると、耳のチョト遠い中国人は瞬きした。「387元?シン」オッケーサンキューの意である。バスに乗って、帰った。一時間以上かかった。

 昼食は買ってきたものの炒め物だった。それと木耳の和え物、卵。耳のとても遠い中国人と会話が成立した。奇跡だ。「お父さんの大学どこだっけ」私は言えないので大学名を書いて見せた。耳のとても遠い中国人は、私の書いた文字をいたく気に入った。「小さいころから本を読んでいる子供は字がキレイなんだよ」耳のチョト遠い中国人は、耳のとても遠い中国人の言ったその言葉を聞き取れずに、口をあけて瞬きをくりかえした。私は恥ずかしくなった。私の文字は、言う人をしておまえのもじはくさびがたもじでがんばってあらびあもじをかいたかんじだねとのオコトバを貰うようなものである。「明治維新」耳のチョト遠い中国人との交信を諦めた、耳のとても遠い中国人がこちらに向き直った。「日本の大きな改革。同じ名前だね。ああ、そうだ、史記を見せよう」突然話が中国の歴史になった。なぜかそれは聞き取った耳のチョト遠いさんが言った。「彼は歴史と本が大好き」とても遠いさんのとってきた史記は、四冊セット。箱に入っていて、箱のフタにはとても遠いさんの文字で買った年月日と値段が記されている。「それに彼はなんでも記録しておくから」チョト遠いさんが笑った。とても遠いさんはそれを見せてくれて、それから仕舞って、席について、言った。「大学の教科書が手に入ったら、持って来て見せてね」「そんな、重いよ」チョト遠いさんが、文句を言った。とても遠いさんには聞こえていなかった。私は言った。「没問題」「ほんと?」チョト遠いさんはひきさがった。

 午後は更に退屈だった。写真の整理と、テキストデータの整理、それから北京大学の冊子を確認した。昼食から7時間たって、早口の中国人がやってきた。私はそのとき、久々に「空腹」という感情を思い出して感動のあまりむせび泣いていた。「充電!」早口の中国人がこちらに突進してきて、私の後ろにあるコンセントに携帯を突き刺した。「ご飯は?作ってるのね。昼ご飯何食べたの?糖三角食べたくなったから買ってきた!あと桃も」早口で言った。チョト遠いさんと今日あったことを話して、それから夕食になった。きくらげと、茄子と、昨日の残りのいんげんと、糖三角と、香腸、卵。あたりまえだが、空腹時の食事というのは素晴らしいものである。感涙にむせびながら食べた。早口の中国人が、上海にできたアメリカ系のスーパーの開店の話をしていた。人間の業を感じた。

 大声の中国人とテレビ電話で会話した。私は早口の中国人の買ってきた桃を切って食べていた。「まだ食べるの」大声の中国人があきれた。私もあきれた。早口の中国人が食べてみてと勧めたので食べたのだ。ここでは私が物を食べるほどよろこばれる。動物園の動物になった気分だ。しばらく会話して、電話をきって、早口の中国人が帰って、シャワーを浴びて、荷物をまとめて、今。そんな一日。

 そういえば、今日は28℃とかそんなものだ。こっちは基本的に空気が極度乾燥なので、涼しく感じる。唇と鼻がガサガサに乾く以外は快適だ。それでは、また明日。